六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.92 【肥後国 熊本藩】松浜軒

【居住者】松井家(家老/3万石)
【所在地】熊本県八代市北の丸町3-15
文化財指定】国指定名勝
【関連サイト】https://kumamoto.guide/spots/detail/11754

 

 初めて八代へ。空路での熊本入りも初めてで、雄大阿蘇山や市街地にそびえる熊本城の上空からの眺めには、思わず見入ってしまいました。熊本空港で腹ごしらえに熊本ラーメンを堪能してから、バスで八代へ。熊本藩筆頭家老松井家の城下町です。ちなみに藩政時代の松井家は、藩主細川家の別姓である長岡姓を公称としていたようです。

 まずは八代城址。加藤家の時代に熊本城の支城として築かれ、加藤家改易後は細川忠興の隠居城となった八代城。忠興没後、城を引き継いだのが娘婿である松井興長で、以降、松井家が代々城代となります。一藩士とはいえ3万石の大身であり、しかも将軍の代替わりには江戸参府を行うなど幕府からは諸侯並みの扱い。建物は残っていませんが、迫力ある立派な石垣には、細川家臣団でも別格の存在としての威厳のようなものを感じました。

 そして八代城の傍らに位置する松浜軒。元禄元年(1688)、松井直之(長岡佐渡)が母のために建てた御茶屋です。その後は松井家の保養の場となり、来訪した藩主の接待、火災の際の避難所としても使われたようですが、明治維新後は八代城が国有化されたことで、松井家の居宅となり現在に至っています。戦後は昭和天皇の九州巡幸での宿泊所となったり、一時期は旅館にもなっていたそうです。

 様々な変遷の中で、建物の増改築や庭園の改変が度々あったようで、八代市の「保存活用計画」でもどのような原状変更が行われてきたかは明確でないとしていますが、随所に武家屋敷としての風情は醸し出しているように思います。かつての馬屋が資料館になっており、スタッフの女性の方に大変親切に説明していただき、見どころも案内してくれました。広々とした庭園も何とも落ち着く雰囲気でした。~次回に続く~

(2022年11月2日訪問)

 

 

松浜軒の入口。左手に番所、右手には昔は馬屋だった資料館。

 

建物は二階建て。明治維新後も増改築があったようで、藩政時代の姿が実際どのようなものであったか、さだかではないようです。

 

八代城の天守台。松井興長の時代には五層の天守があったそうです(後に焼失)。堀も広く立派なお城です。