【居住者】澤井善右衛門(陪臣/150石)
【所在地】熊本県八代市西松江城町6-6
【文化財指定】八代市指定有形文化財
【関連サイト】https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003599/index.html
https://peraichi.com/landing_pages/view/bukeyashiki/
松浜軒(前回のブログ)を出る際に、スタッフの方から「お帰りは是非あちらから」と薦められた裏門から出ると、なるほど見事な景観。目の前にアーティスティックなデザインの八代市立博物館 未来の森ミュージアム。同館で八代の歴史を学んだ後、脇の小道を少し歩いて武家屋敷へ。熊本藩筆頭家老松井家の家臣だった澤井家の邸宅です。
『八代市史』(第五巻)によれば家禄は150石。熊本藩では陪臣になりますが、当初は細川家の直臣で、細川忠興の六男岩千代(松井寄之)が松井家に養子入りする際、当代の澤井清三郎が付き従って松井家の家臣に転籍。清三郎の伯父の娘が岩千代の実母という縁がありますが、澤井家の出自については松井家文書「御給人先祖附」(『八代市史』近世資料編Ⅳ)で詳しく知ることができます。
路地裏のようなところにありますが、かつては八代城の堀に面した上士層の住む区域。陪臣とはいえ主家は3万石であり、長屋門は知行取にふさわしい趣です。主屋は慶応元年(1865)の建築。後世の改変はあるようですが往時の雰囲気は感じられます。できれば内部も見てみたかったですが、『八代市史』の写真を見るに、床の間を据えた書院造りの八畳間など武家屋敷らしさを残しているようです。
松井家の家臣団は約500人で、澤井家のような知行取は「侍衆」と呼ばれ80人ほどいたそうです。『八代市史』には町奉行屋敷の長屋門、徒士屋敷の門構えや主屋などの写真も掲載されていますが、なにぶん昭和53年(1978)の古い本。現在も残っている武家屋敷は澤田家のみとなり、その澤田家も一昨年から市民に利用される生涯学習の施設として、新たな役割を担っているようです。
(2022年11月訪問)
澤井家の門構え。長屋部分は中間部屋と馬屋。
長屋門の裏側。現在は障害者の方を応援するお店となっているようです。
先祖は足利家に仕えていたとの説明がありますが、細川家に仕える前は丹後守護一色家の家臣(兄は家老)。主家は細川忠興に謀殺された因縁があります(「御給人先祖附」)。
主屋全景。近年までご子孫が住んでおられたこともあり、何か現代の生活感がある佇まいですが、貴重な武家屋敷遺構です。
簾で隠れてしまっていますが、その奥は式台のある玄関。
主屋の裏手はだいぶ改築されているように見えます。