六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.91 【陸奥国 仙台藩】有備館

【居住者】伊達弾正(一門/1万4千石)

【所在地】宮城県大崎市岩出山上川原町

【関連サイト】https://yubikan.jp/top.html

 

 少し間があいて、前回の冬のことになりますが、仙台藩の伊達家一門が治めた岩出山に行ってきました。東北新幹線は福島辺りから車窓が雪景色になり、古川で陸羽東線に乗り換え、鳴子温泉に着くとまさに大雪。めったに雪の降らない東京の人間には新鮮であり、非日常空間のように感じます。温泉宿で一泊して、翌日、岩出山伊達家伊達政宗四男の家系)ゆかりの有備館を訪ねました。

 最寄り駅は「有備館」。小さな駅の目の前にあります。かつては「現存する日本最古の学問所」とされていたようですが、近年の町史編纂での調査では、元禄期の建築とされる現在の建物が学問所となったのは幕末の頃であって、もともとは岩出山伊達家の下屋敷として使用されていたものと再整理されており(参考:令和3年の大崎市教育委『保存整備事業報告書』)、まさに武家屋敷と言えます。東日本大震災で倒壊してしまった主屋は、復旧事業により元通りの立派な姿を見せていました。

 一藩士と言っても、仙台藩では藩主同族として最上層の家格にあって、しかも万石級。茅葺屋根は質素な感じもしますが、軒の高さや部屋の広さは貫禄があり、何より広大な池を擁する庭園は見事で、舞う雪も風情をかきたてます。それにしてもガラス窓があるわけでもない室内はかなりの寒さ。冷たい畳を歩くのは辛いものがありました。昭和45年(1970)に町が譲渡を受け、整備事業を経て一般公開されていますが、それまでは岩出山の町長も務めたご子孫の住宅として使われていたそうです。

 余談になりますが、同じく大崎市内の吉野作造記念館にも立ち寄るべく、帰りに古川で途中下車。私事ながら、自分の曾祖父は明治文化研究会なるもので吉野作造さんと親交があったらしく、興味を持っていた次第ですが、なかなか立派な施設でした。

(2022年2月訪問)

 

池越しに臨む有備館嘉永年間の頃から家臣子弟の教育機関として使用されていますが、戊辰戦争後は当主が居館から移って住居としたそうです。

 

絵図に見る全容。

 

絵図をもとに復原された正門。

 

玄関部分。式台の周りは雪避けのカバーがあり、やや見栄えがイマイチでした(仕方ありませんが)。

 

学問所となり「御改所」と呼ばれた主屋内部。奥から当主のための「お上の間」、教授のための「中の間」、さらに学生のための「下の間」(下の写真奥側)と続きます。

 

冷たい畳の上に電気カーペットは助かりますが、色合いは部屋と調和させたいところ。

 

御改所の外観。

 

御改所に隣接する附属屋(手前)。建物の名称の記録はないようですが、家臣の控えの間などに使われたものと考えられているようです。左手に玄関があります。

 

池の中央には茶室。

 

帰りに立ち寄った吉野作造記念館(武家屋敷とは関係ありませんが)。敷地は広く、奥の建物もわりと大きいです。蛇足ながら、同館所蔵の写真に我が曾祖父も写っていました(以下のリンク)。

https://www.yoshinosakuzou.info/blank-41/A-3-003