六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.96 【摂津国】萱野三平旧宅

【居住者】萱野家(旗本大島家代官)
【所在地】大阪府箕面市萱野3-10-4
文化財指定】大阪府指定史跡
【関連サイト】https://www.city.minoh.lg.jp/bunkazai/sanpei.html

 

 忠臣蔵で知られる萱野三平の旧宅を訪ねてきました。阪急電車の石橋阪大前駅からバスで15分。最寄りのバス停は「萱野三平前」。アクセスは非常に分かりやすいです。かつての西国街道である国道から脇道に少し入ったところに、比較的大きな長屋門。ここが三平が生まれた萱野邸の跡で、涓泉亭と名付けられた展示施設が萱野三平記念館として併設されていました。

 仇討ちに加わるか、父の勧める仕官に応じるか、忠義と孝行の板挟みで思い悩んだ萱野三平が自刃した話は、忠臣蔵で語られる悲話の一つになっていますが、三平の父萱野七郎左衛門は5千石の旗本である大島義也の家臣。萱野家の先祖は地元萱野村の豪族で、江戸時代になり当地が大島家の知行地となると、その代官を任されています。萱野三平の赤穂藩での給金はわずか12両2分3人扶持で、今に残る長屋門の立派さとはギャップがありますが、実は実家は地元の旧家だったようです。

 萱野邸は明治になって主屋は取り壊され、長屋門だけは地元の人たちの支援で保存継承され、平成4年(1992)に箕面市に寄贈されています。その長屋門の一室で腹を切った三平は享年28歳の若さでしたが、涓泉亭の展示によれば俳人としても活躍していたとのことです(涓泉は三平の俳号)。テレビで見た忠臣蔵の1シーンでしか知らなかった萱野三平でしたが、なにかようやくその人となりが見えてきたような思いでした。

(2023年2月訪問)

 

萱野邸の長屋門。右手の塀越しに屋根が見える建物が涓泉亭。

 

萱野三平は建物右端の部屋で自刃したそうです。今から300年以上も前。建物もそれだけ古いものなのでしょうか。

 

長屋門の裏側。

 

自刃した部屋には三平の像があります。

 

涓泉亭に掲げられていた萱野家の家系図