六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.90 【陸奥国 代官屋敷】中畑陣屋

【所在地】福島県会津若松市東山町大字石山字院内一番地

文化財指定】福島県指定重要文化財

【関連サイト】http://bukeyashiki.com/guide

 

 会津武家屋敷の敷地内で、前回の西郷頼母邸の隣にあるのが、代官所の中畑陣屋。玄関の説明板には「当時の代官は旗本松平軍次郎であった」とあるのですが、正しくは松平軍次郎の知行地の代官。松平軍次郎は奥州棚倉藩松平家の分家で5,000石の直参。天保7年(1836)に現在の福島県矢吹町一帯に領地替えとなったことで、翌年に同地の旧中畑村に建てられたのがこの陣屋です。ちなみに軍次郎の嫡男である万太郎は、外国奉行として文久遣欧使節で副使を務め、帰国した後に本家を継いで棚倉藩主となった松平康英です(老中就任後は川越に転封)。

 茅葺屋根の主屋は西郷邸と比べれば優雅さでは見劣りしますが、玄関は唐破風に式台も構え、武家建築の貫禄のようなものは感じます。『図説 白河の歴史』という本には歴代代官の氏名が記載されていますが、10人それぞれ異なる姓。地元有力者が世襲で務めるパターンとは違うようです。同書には二代目代官の小針周平が作成したという陣屋の図面が掲載されており、主屋の形状はほぼ現状通り。敷地内には御蔵屋、侍屋敷、牢屋などのほか、大きな池のある庭園(矢吹町に現存)があったようです。移築する前の建物の写真も載っていますが、維新後に松平家から買い取った庄屋が改築したらしく(庄屋の分家が居住)、玄関部分は大きな格子窓で不自然に塞がれたようなかたちになっていました。

 移築の経緯については、東北の歴史建築を紹介した『民家・町並み・洋風建築』という本に詳しく、昭和48年(1973)、建築学の研究者である著者の研究室に事業者の訪問があり、所有者である庄屋のご子孫から中畑陣屋を買い取って計画中のテーマパーク(現在の会津武家屋敷)に移築するため、指導をお願いしたいとの相談があったそうです。著者は「企業として収支償うものになったかどうかは判らないが」としつつも、「文化財保護関係者として、感謝のほかはない」と結んでいますが、その後に「平成17年(2005)、(株)会津武家屋敷の会社清算の報に接した」との「追記」。文化財維持の難しさを考えさせられるようなエピソードですが、西郷邸や中畑陣屋を擁する会津武家屋敷が、会津観光の柱となったことの意味は大きいように思います(現在は別の事業者が運営)。

(2022年7月訪問) 

 

【追記】

 昨年、ブログで取り上げた旗本の富永家について、読者の肉球さんから情報と写真のご提供をいただきました。山形県天童市に移築されていた長屋門は、残念ながら解体されてしまったようです。保存するための意義と、維持管理するコストをどう考えるか。やはり難しいテーマです。vol.81 【武蔵国】旗本屋敷跡 - 六十余州 武家屋敷紀行

 

表玄関と脇玄関。改築されていたものが旧状通りに復元されています。

 

建物の図面。

 

玄関の反対側は鍵型で、採光に適したような造りになっています。

 

書院造の奥座敷

 

台所。右手は茶の間。