六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.88 【因幡国 鳥取藩】池田家中の武家屋敷

【小原家長屋門鳥取県米子市久米町127

 https://www.city.yonago.lg.jp/33119.htm

箕浦長屋門】同鳥取市尚徳町101

 

 今回も山陰紀行の続きです。松江で一泊後、山陰本線鳥取へ。途中、米子で途中下車して米子城址まで歩いてきました。明治まで立派な天守閣を構えていた米子城は、鳥取藩筆頭家老の荒尾家が城代として在城。1万5千石と大名並みの荒尾家は、「自分手政治」を許され、米子組として配された鳥取藩士と荒尾家の直臣を従えて、実際大名のように代々米子を統治していたそうです。

 その米子城址に移築されている武家屋敷遺構が小原家の長屋門。荒尾家の家臣で禄高120石。池田家中では陪臣ということになりますが、これがなかなか貫禄のある門構え。『新修米子市史』(第13巻 資料編 写真)に旧宅地にあった頃の昭和20年代の写真が掲載されていますが、「身分に過ぎたるものと言われるほど立派なものであった」との説明もありました。

 特急でさらに東へと進み、初めて鳥取へ。池田家32万石の城下町ですが、一番の目的は箕浦家の長屋門。少年時代、愛読書の『城郭と城下町』にあった巨大な長屋門の写真を見て、いつか行きたいと思っていたのが遂に実現しましたが、実物を見るとやはり圧巻。箕浦家は鳥取藩では「番頭」という家格で(家老職の「着座」、その身内の「大寄合」に次ぐ上士層)、知行2千石。さすが大藩の大身屋敷。規模がケタ違いで見応え十分です。

 その後は、鳥取市歴史博物館鳥取城址、旧藩主池田侯爵家別邸の仁風閣を見て回って帰途に。鳥取城址では大手門にあたる「中ノ御門」の表門が復元されていましたが、門の先はさらに大規模な工事が進んでいるようでした。整備計画では二の丸三階櫓などの復元も盛り込まれているようです。往時の姿が蘇った頃、是非また来てみたいと思います。

(2021年11月訪問)

 

米子城天守台遠望。あんなところに五層の天守と四層の小天守がそびえ立っていたとは。唯一残る古写真は『新修米子市史』(第13巻 資料編 写真)に掲載されています。

 

江戸中期の建築とされる小原家の長屋門米子市有形文化財)。改修工事の途中なのか、それとも単に雨漏り対策なのか、屋根がビニールシートで覆われているのは残念。

 

少禄の陪臣身分とは思えないような、大きく立派な長屋門です。『新修米子市史』所収の「荒尾氏家臣分限帳」(慶応4年)には「百弐拾石 御目付 小原乙右衛門」とあります。

 

門の裏側。右手の屋内には階段があり中二階に続いているそうです。

 

鳥取重臣箕浦長屋門鳥取市指定文化財)。物見窓もかなりの大きさ。

 

長屋の裏側にも物見窓。表裏が同じような感じです。