六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.85 【信濃国 龍岡藩】龍岡城

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【所在地】長野県佐久市田口3000-1

【居住者】松平乗謨(龍岡藩主/1万6千石)

文化財指定】国指定史跡

【関連サイト】

https://www.city.saku.nagano.jp/bunka/bunka/bunkazai/bunkazaijimusyo/tatsuokajyo.html

 

 緊急事態宣言が解除され、久しぶりに車で家族旅行に出かけました。途中立ち寄ったのが五稜郭。と言っても有名な函館の五稜郭ではなく、信州の五稜郭。幕末に築かれた大給松平氏龍岡城です。文字通り五稜の星の形をした洋式要塞の外郭が残っています。日本で五稜郭は函館と龍岡にしかないそうです。

 石垣や掘割は小規模で、函館の五稜郭インパクトの差は歴然としていますが、幾何学模様を想起させる外郭の形状には、古来の城にはない斬新さを感じます。そして城内に唯一現存する建物が御台所。いわば1万石クラスの武家屋敷のキッチンであり、今回の武家屋敷紀行で取り上げてみた次第です。内部は非公開で外観しかご紹介できませんが、屋根の勾配が大きく、台所にしてはなかなか重厚感のある建物。これだけの広さのある台所での武家の調理風景、見てみたいものです。

 小藩ながらも20代という若さで老中格、陸軍総裁と、多難な政局で幕閣の要職を担った最後の藩主松平乗謨。その乗謨がフランスの城郭をモデルにして龍岡城を完成させたのは慶応3年(1867)。西洋通と言われた若い殿様の近代的なものへの好奇心やこだわりが伝わってきますが、完成の翌年には御一新。明治4年(1871)の廃藩置県により、わずか4年で廃城。乗謨には無念の思いもあったかもしれませんが、彼は後に大給恒と名を改め、日本赤十字社の前身である博愛社の創立にも尽力。時代が変わっても、進取の精神は変わらずだったようです。

(2021年11月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20211113154356j:plain龍岡城の御台所。内部を一般公開することもあるようですが、学校の校舎に転用されていたので、原形通りの室内ではないかもしれません。

 

f:id:kan-emon1575:20211113154237j:plain反対側。ほぼ同じです。三河の飛び地にあった奥殿陣屋龍岡城築城前の政庁)も書院建築が残されていますが、同じように大きな屋根が印象的だったことを思い出しました。

 

f:id:kan-emon1575:20211113154941j:plain説明板にある図面。御台所は大手門(星形の底部分)正面の玄関左手にあったようです。

 

f:id:kan-emon1575:20211113155958j:plain堀と石垣。図面の形と照らし合わせてみるに、星形の右下あたりでしょうか。五稜郭であいの館には、龍岡城や松平乗謨についての解説や展示物もあり、参考になりました。