六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.84 【常陸国 松岡藩】松村邸(松村任三生家)

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【居住者】松村平太夫(家老)

【所在地】茨城県高萩市下手綱

【関連サイト】

http://www.takahagi-kanko.jp/page/page000079.html

 

 コロナで遠出ができないまま、ついにネタ切れ。しかし、このブログを始めた2012年よりも前から、武家屋敷探訪の旅は続けていたわけで、ふとデジカメ以前のフィルム写真の頃のアルバムを引っ張り出してみたら、いろいろ懐かしいものが見つかりました。今回ご紹介するのは、20年以上前、自分が若かりし頃に訪ねた茨城県高萩の武家屋敷です。高萩は水戸藩附家老中山家の本拠地。2万5千石と大名級ですが、明治元年(1868)には松岡藩として独立しています。

 写真の長屋門は、中山家に仕えた松村家の屋敷門。植物学者として活躍した松村任三の生家で、『世界的植物学者 松村任三の生涯』という本によれば、任三の祖父平太夫は参政、父(養子)儀太夫は少参事と藩の要職にあります。幕末~明治の武鑑には、「御三家方御附」の欄にある中山家の家老として平太夫の名があり、また『高萩市史』の掲載資料によれば、明治2年(1869)の儀太夫の藩内での席次は上位4人目、家禄は90石と藩内最高。同年に家禄を抑制する藩政改革が行われており、「新旧禄表」を見るに、それ以前は250~101石のレンジにあったようです。

 高萩駅から歩いて行った記憶があります。茅葺屋根の趣ある長屋門に黒板塀。主屋は当時も住居として使われていたようで見ることはできませんでしたが、幕末に松村任三が生まれた家なわけで、歴史のある古い建築だったのだろうと思います。前述の『松村任三の生涯』に掲載の「家老屋敷 松村任三邸宅の平面図」と題した明治7年(1874)の図面を見ると、表口16間で敷地500坪。長屋門のすぐ裏に玄関を構えた2部屋の建物、それと分離したかたちで奥に数部屋ある建物といった配置です。実は大変残念なことですが、建物は平成24年(2012)に火災で全焼。この長屋門は類焼を免れたのかどうか、気になっていますが、いまだ未確認です。

 しかし、家老屋敷は失われてしまったものの、ネットで調べてみると、現在の高萩は歴史ある町としての整備が進んだようです。松村邸のあたりは「お屋敷通り」と銘打って武家屋敷地の雰囲気が演出され、郷土資料室として「松岡藩藩校 就将館」も開館。昔来た時、由来も分からぬまま何となく写真に収めていた古びた長屋門は、水戸藩の郡奉行を務めた高橋家の門だったようで、市指定史跡として立派に修復されています。緊急事態宣言が解除され、ようやくコロナもピークアウトの兆し。ワクチン接種も完了し、そろそろ旅に出たいところですが、松岡藩ゆかりの高萩にも是非また行ってみたいと思っています。

 

f:id:kan-emon1575:20210919214924j:plain紙焼き写真をスキャンでデジタル化。解像度のせいもあるからか、やけに古めかしく感じます。実際、自分も歳をとったわけで。お隣の長屋門武家屋敷でしょうか。実地調査をしてみたい気持ちにかられます。

 

f:id:kan-emon1575:20211017194935j:plain昔の武家屋敷だろうか、と取り敢えず撮ってみた1枚。高萩市観光協会のホームページを見て、二十数年越しに水戸藩郡奉行宅と判明。格子の取れてしまった物見窓、塀のトタン屋根も見事に復元されていますが、奥の建物は現在ない様子。やはり旧藩時代のものだったのでしょうか。(以上、1990年代に撮影)

 

【追記】(2023年10月21日)

NHK連続テレビ小説「らんまん」に松村任三さんが登場(ドラマでは徳永教授)。もう終わってしまいましたが、書き加えておこうと思います。