六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.94 【肥後国 熊本藩】細川刑部邸

【居住者】細川刑部(一門/1万石)
【所在地】熊本県熊本市中央区吉京町3-1
文化財指定】熊本県指定重要文化財
【関連サイト】https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/81

 

 前回までのブログの続きです。八代を後にして今度は熊本へ。4度目とはいえ、十数年ぶりで熊本地震以降は初めて。前年に天守閣が復旧して公開が始まった熊本城ももちろん目的の一つですが、もう一つ、どうしても行ってみたかったのが細川刑部邸。藩主細川家一門の武家屋敷です。地震発生から長らく休館中のままで、被災して甚大な影響でも出ているのではないかと気になっていましたが。無事でした。

 休館中で敷地に入れなかったら、建物の状況も分からないだろうかと案じつつも、現地に行ってみると隣の駐車場からよく見えました。庭に入ってしまえそうな感じもしますが「立入禁止」の掲示。玄関サイド(上部写真の奥側)に回ることはできませんが、全体として目立った損傷はなさそうでした。何しろ万石級の上級藩士の邸宅が残っている例など全国的にも稀であり、大変貴重な武家屋敷遺構です。昔来た時と変わらぬ姿で安堵。

 細川刑部家は細川忠興五男の細川興孝に始まり、当初は2万5千石。その後に1万石となり、長岡を姓として代々「刑部」もしくは「図書」を名乗っています。現存建築は郊外の下屋敷にあったもので、平成6年(1994)に熊本城三の丸に移築復元され一般公開。広い部屋がいくつもあって、さすが御一門といった雰囲気だったことを記憶しています。現在は中に入れませんが、外観だけでも全国に数ある武家屋敷とは格の違いを感じます。

 ただし、藩政期の姿そのままかというと、そうではないようです。『旧細川刑部邸移築工事報告書』によると、明治維新後、細川姓に復した当主が本邸として以降、改変が繰り返されており、台所棟は明治3年(1870)に他の建物を転用、「春松閣」と称した私室部分は同6年に付加、茶室は同17年新築、玄関・表広間は同26年に増改築の由。主屋の主要部も他からの移築のようで、「移築時期を決定できる資料は発見出来なかった」との説明がありますが、長屋門は江戸時代のものだそうです。いずれにしても武家屋敷としての風格は色濃く残されており、公開が再開されることを楽しみに待ちたいところです。

(2022年11月訪問)

 

 

「春風閣」と称する二階建ての私室部分。右手には書斎(手前部分)を併設した茶室。

 

ここからは紙焼きの写真をスキャンしたもの(昔来た時に撮影)。蔵造りのような大きな長屋門。長屋部分の右手は番所、左手は来客のお供の待合室と鉄砲蔵になっています。

 

唐破風屋根が格式の高さを感じさせる表玄関。その右側には14畳の御広間。その奥には客間や表書院などが続きます。写真左手の建物は別棟で、台所のほか家令や女中頭の部屋などがあります。