六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.67 【日向国 飫肥藩】伊東家中の武家屋敷

f:id:kan-emon1575:20180720111458j:plain

【所在地】宮崎県日南市飫肥

【関連サイト】

http://obijyo.com/shisetsu/itoudenzaemon/

 

 昭和52年(1977)に九州初(全国で2番目)の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された飫肥には、武家屋敷の面影が随所に見られます。前回の豫章館から飫肥城大手門前を右に曲がると「横馬場通り」。武家屋敷の石垣が続く一本道は、電柱電線もなく、なかなか良い雰囲気。このあたりの屋敷規模は一戸平均900坪ほどあったそうです。

 横馬場通りの先を左に曲がると伊東伝左衛門邸(日南市指定文化財)。入口の解説には「家老の分家」とありますが、藩主と同族筋である家老伊東家(400石)の家譜書「藤枝伝」を読んでみると、享保6年(1721)に家老伊東大蔵丞祐興の弟である内蔵助祐允が新知100石と屋敷を拝領した経緯が記録されていました(幕末の家禄は150石)。『近世飫肥史稿』という本には、天保2年(1831)に設立された頃の藩校振徳堂の職員一覧に、伊東伝左衛門(主事)の名がありました。

 小鹿倉(こがくら)邸も、貫録のあるお屋敷。伝統的建造物の保存条例施行時、「保存するため特に必要な物件」として、「小鹿倉主屋七棟と一基」が挙げられていたようです(『日南市史』)。3年前に寄贈を受けた日南市は、民間に活用を募集していますが、その募集関連資料(「旧小鹿倉家解説」)によれば、小鹿倉家は代々藩医。建物の一部に飫肥城の小書院が再利用されているとのことで、歴史的価値は高そうです。募集に応じた会社により、来年3月に宿泊施設としてリノベーションされる予定。武家屋敷の生活を疑似体験できそうで、是非泊まってみたいものです。

 県指定名勝の武家屋敷庭園が残る勝目邸、中級家臣の長屋だったという合屋邸は、貸切型の高級古民家宿泊施設「季楽 飫肥」として既に昨年オープン。また今年は別の伊東姓のお屋敷が、カフェレストランに生まれ変わり営業開始(「武家屋敷伊東邸 おび茶寮」)。私もランチをいただいてきました。保存維持の費用負担が大きい武家屋敷を、可能な限り後世に残すためには、こういった活用の仕方もひとつかもしれません。願わくば、旧状通りのままであってほしいですが。

(2018年7月訪問)

【ご参考】

http://www.nichinan.tv/2017/11/14/kogakura-houkoku/

http://crea.bunshun.jp/articles/-/13396

http://www.nichinan.tv/2018/04/21/itoutei-koukai/

 

f:id:kan-emon1575:20180720111601j:plain

伊東伝左衛門邸の玄関。床が高いです。

 

f:id:kan-emon1575:20180720111643j:plain

 玄関横の表座敷。屋敷は19世紀初頭の建築と推定され、飫肥杉が使われています。

 

f:id:kan-emon1575:20180720111935j:plain

 手前部分は土間。上部の屋根は元は茅葺だったそうです。

 

f:id:kan-emon1575:20180720111035j:plain

横馬場通りの伊東民部屋敷門。空き家と思しき建物も古そうですが、中は立入禁止。伊東姓だけに藩主の一族、あるいは賜り姓の重臣かと思いますが、詳しいことはわかりません。

 

f:id:kan-emon1575:20180720111339j:plain

飫肥城大手門へ続く横馬場通り。武家屋敷の石垣が往時を偲ばせます。

 f:id:kan-emon1575:20180720121549j:plain

小鹿倉邸。分限帳に同姓の藩士は見あたらず、どの程度の家禄の屋敷か分かりませんが、幕末の地図では、川崎喜右衛門の屋敷地であったようです。 藩主の居所を豫章館に移した際の御殿建築払下げ、という経緯を考えると、邸宅としては版籍奉還後の建築であるのかもしれません。

 

f:id:kan-emon1575:20180720103028j:plain

武家屋敷をリノベーションした「武家屋敷伊東邸 おび茶寮」。

 

f:id:kan-emon1575:20180720121904j:plain

合屋邸。こちらは宿泊施設としてリノベーション。かつての長屋門でしょうか。

 

f:id:kan-emon1575:20180720101714j:plain

勝目氏庭園。こちらも宿泊施設に。かつては藩医の屋敷だったようです。