六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.104 【周防国 岩国藩】武家屋敷長屋

【香川家長屋門
居住者:香川舎人(吉川家家老)
所在地:山口県岩国市横山2丁目
文化財指定:山口県指定文化財
https://kankou.iwakuni-city.net/kagawake.html
【昌明館長屋】
居住者:吉川監物(岩国領主)
所在地:同市横山2丁目7-3
文化財指定:岩国市指定文化財
https://kankou.iwakuni-city.net/shoumeikan.html

 

 中学生の時以来となる岩国を再訪。あの頃は健在だったブルートレインに乗って来たことを思い出します。わくわくした夜行列車の旅はよく覚えていますが、そうは言ってももはや世紀を跨いだ遠い昔。岩国の町は懐かしいというより、初めて見る感覚に近いものがありました。お城めぐりに興味を持ち始めた頃で、まだ記憶に焼き付けるほど目が肥えていなかったのかもしれません。

 岩国は吉川家の城下町。明治維新後に岩国藩として晴れて独立するまで、吉川家は長州毛利家の家臣という立場。江戸時代を通して一藩士の身分ですが、6万石と大名諸侯同然であり、その家老は又家来とはいえ威厳のある屋敷を構えていたようです。今に残る香川家の大きな門構えは、それを彷彿とさせるもので見応えは十分。元禄6年(1693)に香川正恒が建てたという歴史ある長屋門で、しばし見入ってしまいました。

 香川邸跡から少し離れたところにも武家屋敷長屋が二棟ありますが、こちらは昌明館の長屋。吉川家のご隠居が暮らした御殿にあった建物で、門も残っています。寛政5年(1793)に吉川経倫の隠居所として建てられたものですが、経倫の死去後は、跡を継いだ長男吉川経忠正室喬松院の居所となったそうです。ちなみに経倫は徳山藩主毛利家からの養子、喬松院は柏原藩主織田家から嫁いできており、やはり吉川家は大名同然の家筋だったと言えそうです。(次回に続く)

(2024年12月訪問)

 

 

五家老に名を連ねる香川家の長屋門。吉川一族ではないことから自ら末席の扱いを願い出たという香川家。しかし末席でも、この重厚感ある佇まいです。禄高は未確認ですが、『岩国市史』によれば五家老の家は700石~1,000石だったそうです。

 

香川家のお隣は同じく家老の吉川家の屋敷跡。石見吉川家の家筋で、秀吉の鳥取城攻めで壮絶な最期を遂げた吉川経家の子孫です。説明板によれば、写真のような長屋が平成23年(2011)まで残っていたものの、老朽化で取り壊された由。実に惜しいです。

 

昌明館の門と付属長屋。現在は吉川史料館となっています。家来である香川家の長屋門のほうが立派なような気もします。

 

昌明館の門左手にあるもう一棟の長屋。その奥には政庁跡に建つ錦雲閣。吉川家は領主として岩国を統治。前回のブログの名張藤堂家同様、諸侯としての独立は長年の悲願だったようです。

 

岩国城復興天守の遠望。天守閣は一国一城令で破却され、吉川家は麓の「土居」と称した陣屋を政庁としています。萩には毛利家中随一の広さを誇る屋敷を構え、藩邸同様の江戸屋敷保有。実態的には長州藩支藩と言えます。