【所在地】岩手県奥州市水沢字吉小路
【関連サイト】https://www.city.oshu.iwate.jp/samurai/index.html
前回の白石を後にして仙台藩領を北上し、一関で一泊後、伊達一門の城下町である水沢へ。領主の水沢伊達家は本姓留守家(明治以降は留守姓に復姓)。源頼朝に陸奥国留守職に任じられその地位を世襲した由緒ある家筋です。大河ドラマ「独眼竜政宗」では長塚京三さんが演じた留守政景(政宗の叔父)が伊達家臣となり、一門の待遇で伊達姓に改姓。その長男の伊達宗利が後に1万石で水沢城に入り(一国一城令のため「要害」という呼称)、片倉家同様、代々万石級の大身藩士として続いています(幕末時点で1万6千石)。
この水沢にも武家屋敷がいくつか残っており、水沢駅から歩いて最初に向かったのが武家住宅資料館。水沢伊達家家臣の旧内田家住宅です。幕末の当主勘之丞は大番頭。家禄96石は家老の余目家(129石)に次ぐもので、陪臣とはいえ意外と貫禄のある構え。茅葺の薬医門の先にある玄関は式台を備え、室内は天井が高く欄間も品があります。隣接する武家住宅資料センターでは、城下町水沢をテーマにした様々な展示があり、スタッフの方にも親切に説明していただき勉強になりました。
内田家の近所に位置する後藤新平旧宅も旧藩時代の武家屋敷。言わずと知れた後藤新平の生家で、幕末の当主十右衛門(新平の父)は小姓頭を務めた上位の家臣。新平自身も少年時代に奥小姓として出仕していたようです。親戚関係にある内田家の屋敷よりは少し小さめですが、玄関はわりと広めの式台があり、武家住宅の趣を感じさせます。近くには後藤新平記念館もありますが、電車の時間の都合で行けなかったのが残念です。
昭和56年(1981)刊行の『水沢市史』(市町村合併で現在は奥州市)によれば、終戦後に40戸超残っていた武家屋敷は、「消滅寸前にあるが、保存対策が望まれる」という状態だったそうですが、それでも刊行時点では今以上に多くの建物が現存していたらしく、四脚門に茅葺の長屋を配した家老中目家など、重臣の屋敷もいくつか写真が掲載されていました。おそらく時代の流れとともに姿を消していったのだと思います。幕末には士卒855人の家臣団を擁した水沢伊達家。その名残を伝える現在の武家屋敷は、大事に残していってもらいたいものです。次回はこの後に行った金ケ崎に続きます。
(2025年4月訪問)
内田家の主屋(奥州市の有形文化財)。屋敷地は間口16間に奥行30間。
玄関横の縁側部分。建物は18世紀末の建築と想定され、平成2年(1990)に復元工事が行われています。
式台の奥には三畳の玄関の間。
玄関の間に隣接する次の間(手前)。奥に書院造りの上座敷。左手は茶の間。
下の間から茶の間方向を撮影。
台所のある板の間。実際に囲炉裏に火が焚かれ、屋敷内にほのかに漂う煙が遠い日の時代の雰囲気を醸し出しているように感じます。
後藤家の玄関部分。
手前は玄関の間。左手に座敷、右手に土間を配していますが、現在の間取りは後藤新平が晩年に改修したとのことです。
水沢伊達家の居城である水沢要害の模型(武家住宅資料センターに展示)。『水沢市史』によると、幕末の建築とされる東御殿の建物が明治維新後に払下げとなり、同書刊行時点では現存していたようですが、現在はネットで調べても出てきません。