六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.42 【常陸国 麻生藩】畑邸

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【居住者】畑四郎兵衛(家老/270石)
【所在地】茨城県行方市麻生1153-1
文化財指定】茨城県指定有形文化財
【関連サイト】https://www.city.namegata.ibaraki.jp/page/page001414.html

 

 東京駅から総武線成田線鹿島線と列車を乗り継ぎながら約2時間。水郷の町、潮来で1泊して麻生へ。ここには「麻生藩家老屋敷記念館」として畑邸が残されています。路線バスがなく、タクシー代が思いのほか高くついてしまいましたが、安政4年(1857)建築のお屋敷は、なかなか立派なものでした。

 霞ヶ浦沿いにあった麻生藩は、新庄家1万石の外様藩。藩祖新庄直頼は近江の土豪で、姉川の合戦には浅井方として参戦。その後、織田・豊臣に仕え、関ヶ原の合戦では西軍でついて改易となるも、やがて赦免され、この地に所領を与えられます(当初は3万石)。

 畑家も先祖は近江の土豪で、新庄家とは言わば盟友的な関係。「畑、神田、三好なくては舵は取れまい」(いずれも家老)という俗謡があるらしく、新庄家中では特別な存在だったようで、代々家老職を務めています。藩士の大半は江戸詰だったため、陣屋町としての発展は見られなかったとのことですが、手薄の国許を預かる畑家の役割は、より重要なものだったのではないでしょうか。

(2016年5月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20160514090655j:plain薬医門形式の表門。「屋根など後世の改造も見られるが主屋と同時期の建築」と説明されています。

 

f:id:kan-emon1575:20160514091347j:plain玄関の間。その先には床の間のある八畳の座敷。

 

f:id:kan-emon1575:20160514091552j:plain玄関横の次の間。中の間、奥の間が続きます。

 

f:id:kan-emon1575:20160514092607j:plain内玄関の間(中央)。右手が内玄関。左手は取次の間。