【富井邸】居住者:富井泰蔵(裏判本方/17俵4人扶持)
【浅見邸】居住者:浅見精之丞(小物成奉行/60俵)
http://www.tadotsu-kanko.jp/blog/history/entry-64.html
サンライズ瀬戸号が観光振興のため琴平まで延長運転されるという新聞記事を見つけ、思い立って車中1泊の讃岐旅行へ。本来の終着高松には朝7時前に着いてしまいますが、行先延長となればゆっくりできます。東京出発後、ベッドで横になると、曲面の窓ガラス越しの夜空には満月。翌朝、瀬戸大橋から眺める瀬戸内海の島々も実に風光明媚。多度津までの非日常的な時間は、旅情をそそる感慨深いものでした。
多度津は丸亀藩京極家の分家が治めた1万石の陣屋町。少年の頃に愛読した『城郭と城下町』(小学館)には、立派な武家屋敷長屋門がいくつか掲載されていて、いつか見に行きたいと思っていたのですが、残念ながら今は長屋門の姿は見あたらず、往時のまま屋敷が残っているのは富井邸(上部写真)くらいのようでした。武家屋敷に想いを寄せる者として実に惜しい気がしますが、文化財維持はコストもかかるので難しいところです。
幕末の富井家当主泰蔵は、藩内では西洋砲術の第一人者として名を馳せたそうですが、彼が師事した家老の林良斎は大塩平八郎と親交もあった陽明学者。藩祖の母が林家の出で、以来代々家老職を務めた家筋でもあります。『多度津町誌』などに写真が掲載される林家の立派な長屋門は、現在はなくなってしまったようですが、郊外の奥白方には別邸(町指定有形文化財)が残っているらしく、次回は是非見に行ってみたいところです。
http://www.town.tadotsu.kagawa.jp/itwinfo/i135/
(2015年10月訪問)
屋敷がほぼ完全な形で残る富井邸(国指定有形文化財)。幕末の当主泰蔵は「泰蔵覚帳」など貴重な史料も多く残しています。
門構えの残る浅見邸跡。明治以降は多度津町長も輩出している由緒あるお宅です。現在は町立資料館になっており、多度津陣屋の模型なども展示されています。
武家屋敷の蔵。手前の説明には、「多度津町指定史跡 京極氏多度津藩家中屋敷」とありますが、このあたり一帯を指しているような記述で、蔵の主は分かりません。