六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.37 【長門国 萩藩】毛利家中の武家屋敷(寺社組他)

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木戸孝允生家】居住者:和田文景(寺社組・藩医/20石)

http://hagishi.com/search/detail.php?d=100002

【野田邸】居住者:野田七郎左衛門(遠近附/51石)

【湯川邸】居住者:樋番屋敷

http://hagishi.com/search/detail.php?d=100085

 

 一門、永代家老、寄組、大組と、萩藩家臣団の上層部から武家屋敷遺構を取り上げてきましたが、さらに遠近附、船手組、寺社組などいくつかの階層があって、ヒエラルキーを形成しています。木戸孝允の生家である和田家は、寺社組の藩医。『萩藩給禄帳』には「外療医 阿蘭陀流眼科兼帯 吉岡流」とあります。

 大組の桂家に養子入りした木戸も、実家は家禄20石程度の下士層ですが、その邸宅は意外と広く趣のある印象です。和田邸や湯川邸のような観光スポット以外にも、野田邸のように現在も住宅として使われている武家屋敷遺構も散見され、レンタサイクルを借りての散策は、とても有意義なものでした。

 大河ドラマ「花燃ゆ」は先週で最終回でしたが、視聴率は低調だったとはいえ、個人的には毎週楽しみに見ていました。帰りに寄った防府大河ドラマ館には、主演女優直筆の毛筆による挨拶状が展示されていましたが、かなりの達筆で驚きました。

(2015年7月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20150707105538j:plain木戸孝允生家は、玄関(最上部写真)とは反対側の土間(写真左手)が見学者の入り口になります。ちなみに写真右手前は浴室。

 

f:id:kan-emon1575:20150707105448j:plain2階建て部分の階下の部屋は、木戸孝允の「誕生の間」だそうです。

 

f:id:kan-emon1575:20150707130538j:plain平安古の鍵曲(かいまがり)。土塀が武家屋敷街の雰囲気を伝えています。

 

f:id:kan-emon1575:20150706172614j:plain野田邸。門にある萩市の解説では、嘉永年間で遠近付51石とのことですが、『萩藩給禄帳』には手廻組10石9人扶持とありました。

 

f:id:kan-emon1575:20150707132908j:plain湯川邸は藩政時代に「樋番」(水門の番人)の屋敷として使われていたようです。藍場川の水は邸内に引き込まれ、台所で使えるようになっています。