【居住者】猪狩幾右衛門(郡奉行/60石)
【関連サイト】
http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_spot/daimyou_bugyou.html
安中藩郡奉行の役宅は、前回の武家長屋と道を挟んで隣りに位置します。長屋門は茅葺の簡素なものですが、安中藩では長屋門を構えた武家屋敷はわずかに7軒。部屋数は多くありませんが、敷地は470坪ほどあり、60石取りの屋敷としては広いように思います。
幕末の居住者である猪狩幾右衛門は、『安中市史』によると当初は8石3人扶持の微禄ながら、安政5年(1858)に郡奉行助勤となって足高50石。その後、新知として50石。さらに明治になって60石と昇給しています。慶応4年(1868)には、幾右衛門の率いる安中藩兵が「偽官軍」とされた赤報隊の幹部を領内の坂本宿で討ち取り、幾右衛門は報奨として金一千疋を拝領しています。
猪狩邸から徒歩30分程のところに、安中藩士だった新島襄の実家も残っていますが、慶応4年に国元へ引き揚げてきた江戸詰の藩士のために、猪狩幾右衛門が普請奉行として建築した官舎のひとつだそうです。明治7年(1874)、10年ぶりに帰国した新島襄は、その官舎で家族との再会を果たしたとのことです。
(2013年10月訪問)
式台の付いた玄関。建物の端のほうにあり、小さく目立たない感じです。
手前は台所で流しの排水溝が付いています(戸の下)。あちこちに貼られた「禁煙」は、景観上イマイチな気がします。
「ジョウダン」と呼ばれる座敷。床の間に猪狩幾右衛門の肖像画が飾られていました。