六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.08 【信濃国 松代藩】家老屋敷

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【矢沢邸】

居住者:矢沢但馬(家老/1,400石) 

【小山田邸】 

居住者:小山田壱岐(家老/1,200石)

【真田邸】 

居住者:真田勘解由(番頭/200石)

 

 引き続き松代紀行です。今回は「家老屋敷」でまとめてみました。バスを降り、木造で歴史のありそうな旧松代駅舎(屋代線は昨年廃止)を起点に散策をはじめると、すぐ矢沢邸長屋門(上部写真/長野市指定有形文化財)が見えてきます。筆頭家老格の家柄にふさわしい立派なものですが、裏側には「供待」と呼ばれる開放空間がある珍しい造り。腰掛があって家来を待たせた場所のようです。

 矢沢邸から少し歩くと、次席家老小山田邸(国登録有形文化財)。独立した番所を配した冠木門は、現存する武家屋敷門ではあまり見かけませんが、嘉永2年(1850)の建築とされる二階建ての主屋(非公開)も珍しい様式であるように思います。小山田家の先祖は武田信玄の武将で藩主真田家とも親戚関係にあり、こちらも由緒ある御家柄です。

 さらに歩いていくと、旧藩主家別邸、藩校の文武学校と観光のメインコースを経て、藩主一族の真田邸(国登録有形文化財)。家老ではありませんが初代藩主の長男筋で(長男の意向で本家は末弟が相続)、やはり名家。主屋(非公開)は江戸末期に松代城花の丸御殿の一部を移築したもので、塀越しに見える瓦葺の屋根を見るだけでも立派なお屋敷が想像されます。

 この他にも樋口邸(230石/長野市指定文化財)や前島邸(200石/長野県宝)などの中士クラスの屋敷も残っていますが、いずれも2010年に一般公開がはじまったところ。昨年は明治薬科大学創始者恩田重信の生家である武家屋敷(100石)も修復工事を終え、公開も検討されているようです。武家屋敷に関心を持つ者には、今後も楽しみな町です。

(2013年4月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20130415123319j:plain矢沢邸長屋門を裏側から見る。「供待」の上を見上げれば、藩公の紋である六文銭

 

f:id:kan-emon1575:20130415123654j:plain小山田邸の冠木門と番所。奥の主屋には現在も御子孫が住んでおられます。

 

f:id:kan-emon1575:20130415151134j:plain真田勘解由邸。200石とはいえ、藩主一族の御屋敷。風格があります。こちらも御子孫が住んでおられ、主屋は屋根しか見られないのが残念ですが、屋根瓦にはやはり六文銭