六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.65 【日向国 高鍋藩】黒水邸

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【居住者】黒水鷲郎(高鍋藩家老/140石)

【所在地】宮崎県児湯郡高鍋町大字上江1390

文化財指定】高鍋町指定有形文化財

【関連サイト】http://www.town.takanabe.lg.jp/display.php?cont=120615093245

 

 今年の夏休みは宮崎の城下町を探訪。最初に訪れた高鍋は、2万7千石秋月氏のお膝元です。第一の目的は高鍋城址の近くに残る家老屋敷。利用するつもりだったJR高鍋駅前のレンタサイクルが、なんと今年に入って廃業との由。1時間後のバスを待つことはせず、40分ほど歩くことにしましたが、駅から国道をひたすらまっすぐに進んでいく分かりやすい道程でした。

 家老屋敷のあるじは黒水家。慶応元年(1865)の分限帳(『宮崎県史』所収「高鍋藩人給帳」)には、140石の「者頭」として黒水鷲郎の名があります。この分限帳に記載されている3名の家老が200~300石なので、家禄は藩内では高い方かと思います。パンフレットには「家老12名中のひとり」とあり、いつのタイミングで家老となったのか詳細は分かりませんが、もともとは兵法家の家筋であったようです。

 黒水鷲郎については『高鍋藩史話』という本に、いくつか記述が見られます。鷲郎は世子秋月種樹若年寄就任回避に尽力し、幕府崩壊の混乱に巻き込まれずに済んだことで、後に種樹は感謝の談話を残したようです。明治2年(1869)の版籍奉還後、五局に再編された政庁では、兵賦局のトップ(知事)とのことで、藩政において重要人物だったのではないかと思います。ちなみに戊辰戦争の項では、「家老」の肩書で名前が出ていました。パンフレットには、廃藩後に製糖会社の社長になった旨もあります。

 19世紀前半頃の建築と推定される主屋は、茅葺屋根で一見農家建築のようにも見えますが、床と天井が高く、屋根も大きいので、格式高い感じもします。スタッフの方が邸内を案内してくださり、いろいろ興味深い話も聞くことができました。高鍋町歴史総合資料館で購入した『高鍋武家屋敷と民家』には、他の現存武家屋敷も8軒ほど紹介されています。30年ほど前に編集されたものなので、現在の保存状況はわかりませんが、いずれまた散策してみたいと思います。

(2018年7月訪問) 

  

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 表玄関。その先には6畳の「玄関の間」。

 

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 「玄関の間」右手には、杉戸に囲まれた「控の間」、さらに「次の間」が続きます。

 

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 「次の間」の隣室は、床の間と神棚を備えた「上の間」。黒水鷲郎の写真が掛けられています。

 

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 「上の間」前から玄関方向を望む。茅葺屋根は一昨年に葺き替えられたそうです。

 

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屋敷裏手に残る味噌蔵(左)と土蔵(右)。