六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.48 【武蔵国】江戸の大名屋敷(老中編)

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【本多家江戸屋敷表門】(岡崎藩5万石)
  東京都港区赤坂4-10-36(山脇学園

【真田家江戸屋敷】(松代藩10万石)
  神奈川県藤沢市片瀬3-13-37(龍口寺)

 

 この夏、立派な武家屋敷門が都心に出現(最上部写真)。山脇学園の所有となっている岡崎藩江戸屋敷表門(国指定重要文化財)。同校の臨海宿舎がある千葉県九十九里に移築されていたものが、再び当地に移されてきました。幕末の藩主本多忠民は老中首座を務めており、大名小路の老中役宅で使われていたようです。この本多家は徳川四天王の一人である本多忠勝の直系になります。

 本多忠勝と言えば、大河ドラマ真田丸」では真田信之の舅として藤岡弘さんが演じていましたが、その真田信之を藩祖とする松代藩(当初は上田藩)も、江ノ島のお寺に江戸屋敷ゆかりのものらしい建物が残されています。ウィキペディアによれば、龍口寺の大書院が遺構との由。譜代格の真田家も老中を輩出しています(松平定信の長男でもある真田幸貫)。ちなみに、上田市鹿教湯温泉のホテルにも、松代藩の江戸中屋敷とされる建物が残されているようです。

 ただ龍口寺のホームページには、明治初年に松代の実業家が建てた「養蚕御殿」を昭和10年(1935)に移築したとしか書かれていません。はるばる江戸から松代の実業家に引き取られたということなのか。それとも、実は江戸藩邸ではなく松代の藩庁の建物なのか。事実関係はよく調べてみる必要があるかもしれません。

  

 

f:id:kan-emon1575:20161112144740j:plain岡崎藩邸表門の裏手。幕末期の建築のようで、 当時は両端の長屋がもっと長く、全長120メートルほどあったそうです。(2016年11月撮影)

 

f:id:kan-emon1575:20161023115017j:plain松代藩邸の遺構とされる龍口寺大書院。 (2016年10月撮影)
天保期の臼杵藩士の絵日記を紹介した『勤番武士の心と暮らし』という本に、松代藩邸玄関の当時のスケッチが載っていましたが、形状は異なるようです。

 

f:id:kan-emon1575:20161023115625j:plain龍口寺大書院の屋根は三層建て。なかなかインパクトがありますが、さすがに藩邸で使われていたとすれば玄関部分だけでしょうか。