六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.75 【加賀国 金沢藩】前田家中の武家屋敷(平士)

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【高田家長屋門】居住者:高田弥八郎/550石
【天野家長屋門】居住者:天野権左衛門/300石
【桑島家長屋門】居住者:桑島半十郎/250石
【野坂家長屋門】居住者:野坂近男/200石 

 

 新型ウイルス感染拡大で外出自粛となり、しばらく歴史探訪の旅に出かけることはできませんが、早期の終息を祈りつつ、昨年の金沢紀行を続けていくことにします。

 人持組に次ぐ家格である「平士」は百石未満から二千石台と幅広い層で千数百家あり、加賀藩家臣団の中核を担う存在です。その屋敷遺構は現在も金沢の町に散見され、中でも長町武家屋敷跡は、土塀で囲まれた石畳の細い路地が当時の雰囲気をよく伝えています。ちなみに長町の町名は八家の長家にちなんだものと言われ、かつては長家が広大な屋敷を構えていました。大名級の大身藩士にそれぞれの家臣が大勢いたわけで、金沢の武家地がいかに大規模であったかが想像されます。

 はじめて金沢を訪れたのは中学生の時。貫禄のある桑島家の長屋門(現新家邸長屋門)が特に印象的で、今も実家に当時撮った写真があります。かなり高禄のお屋敷なのだろうと思っていたのですが、加賀藩分限帳国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能)で調べてみると250石。やや意外に感じますが、歴史少年だった頃に見た門構えの変わらぬ姿に、何か懐かしさが込みあげてきました。

(2019年11月訪問)

 

 

f:id:kan-emon1575:20191112120428j:plain高田家長屋門金沢市指定保存建造物)。文久年間(1861~64)の建築と伝えられているそうです。

 

f:id:kan-emon1575:20191112120506j:plain入口部分は手狭な感じがします。明治初期、この長屋門の裏側に接続するかたちで住居が増設され、この門口を玄関とする改修が行われたようです。

 

f:id:kan-emon1575:20191112121716j:plain長屋門の裏側。左手は中間部屋、右手は厩。

 

f:id:kan-emon1575:20191112121121j:plain厩に掲示されていた説明が参考になります。

 f:id:kan-emon1575:20191112122242j:plain天野家長屋門。裏にまわると何と張りぼてのような状態。外壁のない休憩所に改造されていました。 

 

f:id:kan-emon1575:20191112124833j:plain金沢に現存する長屋門では最大規模の桑島家長屋門金沢市指定保存建造物)。左手が厩、右手は中間部屋。瓦葺の屋根は、昭和初期までは石置きの板葺きだったそうです。

 

f:id:kan-emon1575:20191111163702j:plain屋敷全体が残る野坂邸(金沢市指定保存建造物)。長屋門左手は中間部屋2室と厩、右手は駕籠入れ。主屋は増改築がありますが、現在もご子孫が住んでおられるようです。