六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.74 【加賀国 金沢藩】前田家中の武家屋敷(八家・人持組)

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【長邸広式門】居住者:長大隅守/3万3千石
【奥村邸土塀】居住者:奥村河内守/1万7千石
【津田邸玄関】居住者:津田玄蕃/1万石
 【多賀邸表門】居住者:多賀数馬/5千石
【本多邸長屋門】居住者:本多内記/3千石 

 

 北陸新幹線開通後はじめての金沢再訪。駅は随分と立派になり、外国人観光客も多く、国際観光都市として一段と発展した感があります。言わずもがな日本一の大藩である加賀百万石の城下町。加賀藩版籍奉還後に金沢藩と改称)の家臣団は、加賀八家(はっか)と称される年寄衆を筆頭に、人持組、平士、与力、御歩と続く士分の序列があり、さらにその下に足軽、中間、小者といった人たちがいます。こうした様々な身分の家の武家屋敷遺構が、金沢には数多く残っており、階層ごとにご紹介していきたいと思います。

 八家と人持組は藩の要職を務める大身の家筋です。八家は筆頭の本多家本多正信次男の家系)がなんと5万石、続く長家は3万3千石、その他もすべての家が万石以上。官位官名を持つ家もあって、まさに大名級です。千石以上が68家(幕末期)にも及ぶ人持組も4家が万石以上。その威容をよく伝えているのが、主屋の主要部分が現存する津田玄蕃屋敷(上部写真)です。人持組1万石で家老も輩出している名家だけあって、まるで大名御殿のような大きな玄関の構えは圧巻。万石級の武家屋敷遺構は全国的にも貴重です。

 八家筆頭5万石の本多家も、上屋敷の遺構である御広式御対面所の建物が「松風閣」として移築先の下屋敷庭園(金沢市指定名勝)に現存。地元テレビ局の敷地内にあり、残念ながら見ることはできませんでしたが、昨年、金沢市有形文化財に指定されたところで、いずれは一般公開されるのではないかと期待してしまいます。この他、門構えや土塀などが大身屋敷の面影を今に伝えてますが、加賀本多博物館前田土佐守家資料館など、なんと重臣固有の博物館もあります。さすがは加賀百万石。スケールの違いを感じさせ、すべてが見応え十分でした。

(2019年11月訪問)

 

 f:id:kan-emon1575:20191111145850j:plain長家(八家)から移築された本誓寺大門(白山市有形文化財)。寛政12年(1800)建築の薬医門です。説明板には「広式門」とありますが、表門でもよさそうな貫録ある構え。

 

f:id:kan-emon1575:20200308112531j:plain奥村家(八家)の土塀(金沢市指定有形文化財)。金沢医療センターを囲むその長さに、1万坪超という屋敷地の規模を実感できます。『金沢市史』によれば、大正期の写真では下見板は張られていなかったようです。

 

f:id:kan-emon1575:20191112152858j:plain津田家(人持組)の表玄関(石川県指定文化財)。唐破風屋根の下に施された龍の彫刻も見事です。明治以降は金沢医学館などに使われ、内部は旧状通りではないようです。

 

f:id:kan-emon1575:20191112152612j:plain説明板に見る往時の津田邸全景。

  

f:id:kan-emon1575:20191113095353j:plain金沢湯涌江戸村の入口として使われている多賀家(人持組)の表門。左の受付はかつての中間部屋。いずれも金沢市指定有形文化財

 

f:id:kan-emon1575:20191113094125j:plain5千石の大身。さぞや大きな門だろうと思っていたので、門をくぐるまで気付きませんでした。多賀家は意外に簡素な門構えです。

 

f:id:kan-emon1575:20191112155336j:plain本多の森公園に移築された本多家長屋門(国登録有形文化財)。八家筆頭本多家の分家筋(人持組)です。珍しい杉皮葺きの外壁の長屋部分は、かつては現状よりかなり長かったようです。