【所在地】山口県下関市
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夏休みに長府を再訪。長州藩の支藩である長府藩毛利家5万石の城下町です。3年前にリニューアルオープンした下関市立歴史博物館は、新しい立派な施設になっていましたが、武士の町の面影は変わらず。武家屋敷の他にも、高杉晋作が決起した功山寺(功山寺挙兵)、七卿落ちの三条実美らが匿われた五卿潜居の間、旧藩主のお屋敷である長府毛利邸など、幕末好きには魅力満載です。レンタサイクルを使った約15年ぶりの長府散策、なかなか楽しめました。
(2019年7月訪問)
菅家長屋門(下関市指定有形文化財)。説明にいわく「藩中医家随一の名門」。京都より藩祖毛利秀元に招かれ、侍医兼侍講職を務めた格式ある家柄だそうです。
西家長屋(下関市指定文化財)。家老西家の分家で220石の馬廻役。
西家長屋の表側。草木に隠れ気味なのが残念。少年時代の愛読書『城郭と城下町』(小学館)に掲載の「長府藩上級武家屋敷内田家長屋門」と、ほぼそっくり(同じもの?)。
野々村家表門(下関市指定文化財)。馬廻格で130石。藩主居館の御門を拝領したものと伝わるそうです。幕末の当主勘九郎は、藩内抗争により27歳の若さで自刃。
吉岡家長屋(下関市指定有形文化財)。江戸中期は馬廻役大久保家の屋敷だったとの説明がありました。
土塀に続く長屋門。地図を見間違えたか、藩医の松岡家長屋門と勘違い。旅行の後、別の長屋門であることに気付きましたが、こちらは個人のお宅で使われているようです。
乃木希典の旧宅(復元)。父の乃木希次は80石の馬廻役で江戸詰でしたが、藩内抗争に巻き込まれ、国許で閉門、減俸処分。
長府で与えれた居宅は6畳と3畳の2間に2坪の土間だけという懲罰的な家作。乃木大将も苦労した少年時代があったようです。