六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.71 【備中国 足守藩】 家老屋敷

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【所在地】岡山県岡山市北区足守752
【関連サイト】http://www.city.okayama.jp/museum/samurai-yashiki/

 

 前回の多度津を後にして、瀬戸大橋を渡り本州へ。岡山から吉備線に乗って足守を訪ねました。「桃太郎線」の愛称を持つ単線ディーゼル車を降りると無人駅。すぐそばにバス停がありましたが、「運転手不足につき運行休止」の掲示。当初の予定通り、徒歩で陣屋町を目指しましたが、気持ちの良い散歩道といった感じです。やがて風情ある古い家並みに入り、1時間ほどで足守藩2万5千石木下家の本拠地にたどり着きました。

 最初に見学したのが「旧足守藩侍屋敷遺構」(岡山県指定重要文化財)。パンフレットによれば国家老を務めた杉原家の居宅で、ご子孫が昭和48年(1973)に岡山市に寄贈され、復元保存修理を経て一般公開。「杉原家由緒之覚」(『吉備郡史』所収)を見てみると、藩主木下家から養子を迎えて木下家の先祖の杉原姓を許された名門筋で(本姓は瀬川)、最後の家老(300石)杉原正貞は廃藩後も足守県大参事を務めています。なお、『備中足守秘話』という本では、藩政時代には別の家老(400石)である木下家(藩主一門)の屋敷で、明治23年(1890)に当主木下岡次郎が上京に際して杉原家に譲渡した、と説明されています。

 風格ある海鼠壁の長屋門の正面右手には、藩主を迎えるための御成門。表玄関は唐破風の威厳ある構えで、客間に面した遠州流の庭園も趣があります。「一の間」には「鶴雲」と達筆に書き込まれた額。「豊臣利徳」とありますが、これは10代藩主の木下利徳です。下賜されたものなのでしょうか。木下家の先祖は豊臣秀吉の妻ねねの実家(杉原家)であり、秀吉天下の時代には豊臣姓を許されています。豊臣姓の署名には、豊臣の一族であることが後の時代にも強く意識されていたのだろうと感じます。

 声をかけていただいたスタッフの方が親切に説明してくださり、歴史談議に話も弾み、楽しいひとときになりました。はす向かいの木下権之助家表門(岡山市指定重要文化財)など、陣屋町をひと通り見てまわった帰り道、目の前で車が止まると、侍屋敷のスタッフの方。有難いことに駅まで乗せていってくれました。感謝。またいつの日か、豊臣一族ゆかりの歴史あるこの町を訪ねてみたいと思います。

(2019年5月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20190505152934j:plain海鼠壁が印象的な「旧足守藩侍屋敷遺構」。長屋門の左側は中間部屋、右側は何と茶室。

 

f:id:kan-emon1575:20190505155840j:plain表玄関。鬼瓦には豊臣秀吉も使った桐紋。五月人形が飾られていました。

 

f:id:kan-emon1575:20190505160158j:plain表玄関脇の内玄関前から、庭園に続く中門側を望む。屋根上部の冠瓦のあたりには、藩主木下家の家紋「木下車」が無数に並ぶデザイン。

  

f:id:kan-emon1575:20190505153301j:plain客間に面した遠州流の庭園。

 

f:id:kan-emon1575:20190505153430j:plain客間である一の間(右)と二の間(左)。天井が高く香図組の欄間も上品さを感じます。奥には豊臣姓で署名した殿様の書。

 

f:id:kan-emon1575:20190505155530j:plain母屋と渡り廊下でつながる蔵。手間の建物は湯殿と便所。

 

f:id:kan-emon1575:20190505152401j:plain木下権之助家の表門。藩主木下家から家臣として独立した家筋で、北木下家とも称されたそうです。

 

f:id:kan-emon1575:20190505152220j:plain現在では小学校の倉庫となり、入口部分が不自然にふさがれてしまっているのは残念ですが、大きく貫録のある長屋門です。