【居住者】小笠原兵庫介(交代寄合/1,000石)
【所在地】長野県飯田市伊豆木3942-1
【文化財指定】国指定重要文化財
【関連サイト】https://www.city.iida.lg.jp/site/yuiturn/page-eid553.html
旗本小笠原氏の陣屋跡を訪ねました。豊橋から特急に乗って、天竜川沿いに渓谷を行く車窓を楽しみながら、天竜峡駅で下車。陣屋跡までは直線距離なら2~3キロですが、観光案内所の方は「徒歩だと、峠を越えないといけないんで」と渋い顔。若干躊躇しましたが、意を決して隣りの川路駅から歩き始め、山中の曲がりくねった坂道を登って40分。思ったよりもスムーズに迷うことなく到着しました。
石垣に沿った石段の先には、重要文化財の「旧小笠原家書院」。小笠原家は知行1千石ながら参勤交代をする領地在住の旗本で、伊那衆として古くから当地を治める名家であり、江戸初期の建築とされる歴史ある建物は風格があります。邸内ではスタッフの方が親切に案内してくれましたが、敷地内には資料館もあって興味深い品々が展示されており、結構長居してしまいました。
(2017年4月訪問)
屋敷の入口。かつてあった太鼓門は、飯田市内の専照寺山門として現存しています。写真正面の門は明治以降のもの。
書院全景。屋根が高く堂々とした構えです。玄関部分は隣接していた御用所から移設。
玄関をあがると、15畳の南二の間(手前)と10畳の南一の間(奥)。天井が高く、欄間も大きいです。
南一の間。書院の窓が特徴的。
北一の間(手前)と北二の間(奥)には、駕籠など家伝の品々。「攘夷決行 武運長久」と書かれたものもありましたが、日付は「文久三年五月十日」。幕府が公約した「攘夷実行期限」です。
南側は石垣から突き出し、柱で支えています。
建物の脇に立てられていた屋敷絵図。主要部分を挙げると、①太鼓門、②物見櫓、③御用所、④書院(当地現存)、⑤居間、⑥御用部屋、⑦女中部屋、⑧御料理処。