六十余州 武家屋敷紀行

~毎月第3土曜日更新~

vol.47 【豊前国 中津藩】 福澤邸(福澤諭吉旧居)

 

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【居住者】福澤諭吉中津藩/13石2人扶持)

【所在地】大分県中津市留守居町566番地

文化財指定】国指定重要文化財

【関連サイト】http://fukuzawakyukyo.com/

 

 中津に残る福澤諭吉旧居は、享和3年(1803)の建築。諭吉は大坂の中津藩蔵屋敷に生まれますが、まもなく父が死去したため家族と中津に移った後、母と兄、3人の姉と暮らしたのがこの邸宅です。簡素な玄関(上部写真)の内側は土間で、部屋はわずかに4つ。つつましやか佇まいです。

 『福翁自伝』によれば、福澤家は「藩主に定式の謁見が出来る」家柄ではあったようですが、「足軽よりは数等よろしいけれども士族中の下級」。そんな下級武家の当主になった諭吉も、後には150俵取りの幕臣になり外国奉行翻訳方として活躍。慶応義塾を開校して教育分野で多大な貢献があったことは、現代の誰もが知るところです。高額紙幣の彼の御仁も努力の人であると思わせる、そんな武家屋敷でした。

 (2016年8月訪問)

  

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 建物内部。天井からぶら下げている棚は、食べ物をネズミから守る工夫だそうです。

 

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 玄関の反対側に位置する裏口。右端は便所。

 

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諭吉は少年時代、この土蔵の2階で学問に励んだそうです。

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 【参考】家老生田四郎兵衛の屋敷門(生田門)

1,800石の門閥家老とあって立派な門構え。福澤邸と比べてみると、「門閥制度は親の敵」(『福翁自伝』)という諭吉の思いも分かる気がしますが、明治維新後、生田四郎兵衛は諭吉の意見を受け入れて、自邸に英学校(中津市学校)を開設し、教育分野で貢献しています。現存の生田門は学校の正門として使われていたそうです。(2014年8月撮影)