【七日市陣屋】居住者:前田丹後守(七日市藩/1万石)
【保坂邸】居住者:保坂家(七日市藩家老)
前田家といえば加賀の百万石ですが、上州にも前田家が存在していたとは意外な感じがします。七日市藩の藩祖前田利孝は前田利家五男。大坂の陣の戦功で1万石を与えられ、七日市は明治に至るまで前田家が治めています。
現在の群馬県富岡市に位置し、近隣には世界遺産となった富岡製糸場もあります。上州七日市駅前(無人駅)には家老保坂家の長屋門、その先の富岡高校には七日市陣屋の御殿の一部が残っており、いずれも立派なたたずまい。なかなか見応えがあります。保坂家は七日市藩の成立とともに金沢本藩から派遣されて、北保坂家と南保坂家の2つに分かれて双方家老を務めており、長屋門のあるじはそのいずれかと思われます。
1万石というこの小さな藩でも、幕末には保守派と急進派の対立が激化。藩主前田利豁の廃立を画策する急進派が要路を抑え、規律を取り締まるべき大監察が暴行を受けるなど混乱を極めますが、保坂正義が富山藩主前田家に掛け合うなどして事態を収束させたようです。正義は家老(230石)保坂庄兵衛(妻は内村鑑三の叔母)の子として生まれ、もう一方の家老(100石)保坂茂左衛門の家の養子となっており、長屋門は保坂正義ゆかりのものと言えそうです。
(2016年1月訪問)
七日市陣屋の御殿表玄関。建物の内部も見てみたいところです。
同じく富岡高校(陣屋跡地)に残る黒門。この他にも大手門などが移築現存しているようです。
家老保坂家の長屋門。屋敷跡地では、ご子孫が医院を営まれているようです。