六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.32 【越後国 村上藩】 内藤家中の武家屋敷

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【若林家住宅】居住者:若林佐市郎(150石)

https://www.sake3.com/spot/193

【旧岩間家住宅】居住者:須貝勝太郎

https://www.sake3.com/spot/885

【旧嵩岡家住宅】嵩岡五郎左衛門(100石)

https://www.sake3.com/spot/881

 

 村上は徳川家康の異母弟の血筋である内藤家5万石の城下町。瀬波温泉に1泊した後、市内に点在する村上藩武家屋敷を散策してきました。いずれも茅葺屋根で簡素な造りではあるのですが、周囲に連なる山々の風景と相まって、藤沢周平さんの海坂藩を思い起こさせる趣も感じます。

 まいづる公園には、以下に掲載の岩間・嵩岡両家の旧宅のほか、旧藤井家住宅(藩政期は重野兵馬邸/250石)が移築保存されていますが、この公園は現皇太子ご夫妻のご成婚を記念したもの。雅子皇太子妃のご実家小和田家は村上藩士で、園内に屋敷が残る嵩岡家はご親戚だそうです。旧藤井家住宅は少し離れた位置にあり見落としました(残念)。

 戊辰戦争のとき、新政府に従うか否かで村上藩は家中が分裂し、19歳の藩主内藤信民は苦悩の末に城内で自殺。抗戦派の家老鳥居三十郎は敗戦後処刑、その処刑前には恭順を主導した重臣江坂与兵衛が暗殺(その主犯格も後に自刃)。激動の歴史をたどると、これらの武家屋敷も、その生き証人であるかのように見えてきます。

(2015年4月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20150420094432j:plain物頭などを務めた若林家の表玄関。最上部の写真は屋敷全景(国指定重要文化財)。

 

f:id:kan-emon1575:20150420094616j:plain若林邸内部。右手が表玄関部分。

 

 f:id:kan-emon1575:20150420091304j:plain村上藩士須貝家の屋敷だった旧岩間家住宅(村上市指定有形文化財)。もともと長屋形式だった建物を、幕末に一戸建ての屋敷に改築しているようです。

 

f:id:kan-emon1575:20150420090407j:plain皇太子妃の祖母方の親戚筋にあたる嵩岡家の旧宅(村上市指定有形文化財)。縁側につるされているのは、伝統的な村上の名産品として知られる「塩引き鮭」。