【居住者】鍋島孫四郎(家老)
【関連サイト】
http://www.nagasaki-tabinet.com/guide/498/
前回の大村を後にして、諫早で御書院(佐賀藩の重臣諫早邸跡)と昨年開館したばかりの諫早市美術・歴史館を見学後、島原鉄道で神代(こうじろ)へ。修復工事が完了して、昨年から内部公開がはじまった神代鍋島邸を見に行ってきました。
神代鍋島家は佐賀藩祖鍋島直茂の庶兄信房にはじまる家老の家柄。佐賀藩の分限帳には2,505石とありますが、佐賀藩は「物成」で表記されることが一般的らしく、四公六民の「知行高」に換算すると6,262石でしょうか。300人近い在郷家臣団とともに、江戸時代を通じて神代の領主たる立場にあったようで、慶応元年(1865)の建築とされる長屋門(上部写真)は、大名の陣屋を思わせる風格があります。
平日とあって見学者は私一人でしたが、気さくなスタッフの方が邸内を案内してくれました。翌日、島原の武家屋敷を散策中、目の前で止まった車から「こんにちは」と挨拶されたのですが、よく見ればなんと鍋島邸のスタッフの方。神代から電車で30分はかかる距離での再会は奇遇でしたが、旅のちょっとした思い出になりました。
(2015年2月訪問)
鍋島邸の表玄関。主屋は昭和5年(1930)に建てられたものですが、領主時代を彷彿させるような立派な武家建築です。
かつての城跡である丘陵地の地形を利用した枯山水庭園。屋敷内部は撮影不可でしたが、広く立派なお屋敷です。
鍋島邸全景。右端の表玄関をはじめ大半は昭和のものですが、左端の茅葺屋根の建物は、万延元年(1860)の建築。隠居棟だったそうです。