六十余州 武家屋敷紀行

~隔月で第3土曜日に更新~

vol.23 【豊後国 臼杵藩】丸毛邸

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【居住者】丸毛弥市右衛門(町奉行/200石)

文化財指定】臼杵市指定有形文化財

【所在地】大分県臼杵市大字海添字本丁13番地

【関連サイト】http://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014021200149/

 

 前回の杵築を後にして日出で一泊した後、臼杵藩稲葉氏5万石の城下町を訪れました。臼杵駅から散策をはじめると、海添川の川べりのあちこちにカニ。普段は見ない風景が、旅情をそそります。

 散見される武家屋敷門に気分も盛り上がってきたところで丸毛(まるも)邸へ。門構えを含め屋敷全体が残されていて、やはり一段と存在感があります。ただ、パンフレットには「江戸時代後期の建築様式をとどめる、市内でも数少ない武家屋敷」とあるものの、『臼杵市史』には「建築年代は棟札に記す明治16年(1883)」とあって、実際に「武家屋敷」と呼べるものなのか、微妙な気もします。

 とは言え、元臼杵藩士が暮らした屋敷であることはたしかであり、武士の時代が終わった後の建築であったとしても、武家屋敷の趣は残されているように感じます。来訪者名簿には、なんと御子孫の方の署名。最近いらっしゃたようです。自分も先祖が暮らした武家屋敷を見ることができたら、感慨深いだろうと思いますが、残念ながら叶わぬ夢です。

(2014年8月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20140806120246j:plain薬医門の先にある玄関の中は土間になっています。

 

f:id:kan-emon1575:20140806120356j:plain土間には来客用の表玄関と家族用の内玄関が並んでいます。消火器や警報器は、景観に配慮があるとよい気も(大事なものですが)。

 

屋敷図面。

 

屋敷内部。

 

f:id:kan-emon1575:20140806121429j:plain丸毛家の先祖は明智光秀の家臣斉藤氏の一族。藩主稲葉家とは親戚関係にあり、その縁で臼杵藩士になったそうです。