【能見邸】居住者:能見幸之丞(藩主一門/200石)
【加藤邸】居住者:加藤与五右衛門(家老/200石)
【中根邸】居住者:中根源右衛門(家老/200石)
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前回に続き杵築紀行です。大原邸のお隣りの能見邸(上部写真)は、杵築藩5代藩主の九男を始祖とする御一門のお屋敷。藩主の本姓を名乗る家柄だけあって、幕末期の建築と推測される主屋は格式の高さを感じます。能見邸のお隣り加藤邸(明治以降は磯矢邸)、きつき城下町資料館に隣接する中根邸(隠宅)は、ともに家老のお屋敷ですが、明治維新後の職制では、中根家が大参事、能見家が権大参事と、それぞれナンバー1・2の地位にあったようです(「席順帳」)。
余談ながら、杵築藩の江戸屋敷は井伊直弼暗殺の現場前。旅行を機に読んでみた『杵築市誌』には、表長屋から目撃した一部始終を国許に伝えた杵築藩士の手紙が掲載されていました。大老の首が掲げられる様子など描写は生々しいですが、「言語に絶し候」、「御長屋の窓より見候者、落涙致し候」といった記述には、居合わせた第三者の受けた衝撃がリアルに伝わってきます。
4年前に上映された「桜田門外ノ変」では、杵築藩邸の表長屋を再現したロケセットが登場し、昨年まで水戸で公開されていました。やはり大老暗殺からストーリーがはじまる「柘榴坂の仇討」は、今日が公開初日。杵築藩士の手紙も思い出しながら、来週見に行こうと思っています。
(2014年8月訪問)
藩主一門の能見邸。幕末期の建築と推測されています。
能見邸は平成19年(2007)に市がご子孫から譲り受け解体修理。平成22年(2010)から一般公開されています。
藩主の休息所「楽寿亭」の建物が使われているという加藤邸(磯矢邸)。
加藤邸は「勘定場の坂」を上りきったところにあり、生い茂っている木々に今は遮られていますが、かつては海が一望できたそうです。
天井はやや低い感じですが、天井裏には物置として使われているスペースがあります。
中根邸の長屋門。慶応3年(1867)の建築だそうです。
文久2年(1862)の建築とされる中根邸の主屋。ご隠居の住まいとあって簡素な印象ですが、大原邸や加藤邸同様、玄関前にはやはりソテツ。