【室賀邸】愛知県名古屋市東区主税町4-72-1
http://www.futabakan.jp/data/f014.html
【石川邸】神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-1(川崎市立日本民家園)http://www.nihonminkaen.jp/facility/old_folk_house/03_saji_gate/
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000309.html
徳川御三家の筆頭として、諸大名のなかでも最上位の格式にあった尾張徳川家。そんな誇り高き尾張家中の屋敷がどんなものだったのか興味がわきます。名古屋市内に残る物見格子窓を据えた長屋門(上部写真)は、平成16年(2004)に大型マンション建設の際、その当事者であるUR(旧公団)により修復保存がなされ、マンション敷地内で住民交流の場としても利用されているようです。幕末は室賀家の邸宅であったようですが、分限帳には室賀姓が2家あり、250石と150石。どちらにしても中堅クラスの家のようです。
遠く離れた神奈川県にも、尾張家中が住んだ屋敷の門構えが残っています。昭和45年(1970)、道路拡張工事で現地保存が難しくなったところ、川崎市が譲り受け、同市立日本民家園で「旧佐地家門・供待」として公開されています。なお佐地家の所有となったのは昭和初年以降のことで、藩政期は石川家(250石)で使われていたようです。
いずれも都市開発が進むなかで消えていたかもしれない武家屋敷門。尾張武士の名残が現在にも残ったのは奇跡のようですが、文化財として残そうとしてくれた人たちのご尽力あってのこと。ありがたいことです。
(2014年5月・7月訪問)
川崎市立日本民家園に残る石川家(昭和以降は佐地家)の門構え。
門に隣接する「供待」と呼ばれる長屋。
長屋の門番部屋。小さいほうの物見窓の部分になります。ちなみに『写真集 尾張徳川家の幕末維新』(徳川林政史研究所)には、藩主徳川慶勝が自ら撮影した写真が収録され、家老をはじめとする重臣クラスの武家屋敷も多数写っています。