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六十余州 武家屋敷紀行

~毎月第3土曜日更新~

vol.14 【河内国 交野代官】北田邸

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【居住者】北田好剛(旗本畠山氏の代官)

【所在地】大阪府交野市私部1-25-5

文化財指定】国指定重要文化財

【関連サイト】http://www.city.katano.osaka.jp/docs/2013062800011/

 

 桁行55.8メートルにも及ぶ2階建ての巨大な長屋門。大藩の家老屋敷か、はたまた大名の江戸屋敷にも見えてしまいそうですが、実は一旗本に仕える代官の邸宅。もしかすると、主人の畠山邸(3千石)よりも立派だったかもしれません。現在もご子孫の方のお住まいですが、年4回(春と秋に2日ずつ)一般公開されており、市職員の方に案内していただきながら内部を見学してきました。

 主屋も立派なものですが、屋根は銅版で覆われていて余計に大きく見えるようです。もともとの茅葺が18世紀初頭に瓦葺になっていますが、茅葺仕様の建物には重量的に負担となっていたらしく、昭和63年(1988)の修理工事で再び茅葺に戻したとのこと。このとき銅版で覆ったのは、雨ざらしになって虫害が発生するのを防ぐためだったそうです。文化財維持のための工夫が凝らされているとも言えそうですが、個人的には往時の姿のまま見てみたいという気もしました。

 北田家の先祖は、伝わるところによれば、南北朝時代南朝の武将北畠顕家足利尊氏率いる北朝軍に敗れた後、北畠姓を憚って「畠」から「白」の字を抜いた北田姓に改め、この地に土着したとのことです。江戸時代には、旗本畠山氏との関係では苗字帯刀を許された一家来ですが、本業は庄屋で由緒ある地元の名家。実態的には豪農屋敷ということになりますが、武士の威風を感じさせるような立派なお屋敷でした。

(2013年11月訪問)

 

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主屋の軒下から茅葺屋根の一部が見えます。右手の「表之間」は式台玄関のようになっていますが、奥の瓦葺屋根の部分がオフィシャルな玄関だったようです。「表之間」の奥には「勘定場」と「女中部屋」が続きますが、写真より手前は土間になっています。

 

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天保14年(1843)の建築と推定される長屋門は、「男部屋」(写真の部分)など畳の部屋が3室あるほかは、米蔵、炭小屋、芝小屋、藁小屋等になっていて(2階部分も物置)、本来の武家屋敷とは異なる豪農屋敷らしさを見せています。

 

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裏門近くから、乾蔵(手前)、北蔵(奥)を望む。取り囲む土塀を見るだけでも、4千平米にも及ぶ屋敷の広さを実感できます。