【居住者】小山田主鈴(家老/200石)
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奈良駅からバスに揺られること50分。着いたところは藩の本拠地だったとは思えないような、のどかなところでした。柳生藩は1万石の小藩であるうえ、代々将軍の剣術指南を務めた藩主柳生氏は江戸定府大名だったので、実際、陣屋町というよりは山奥の農村に近いイメージだったのかもしれません。
嘉永元年(1848)建築の小山田邸。福島の郷士だったという小山田主鈴は、柳生藩に仕官後、藩の財政を立て直して家老に抜擢されたとのこと。表門は両端の長屋が一部分を残して取り払われていますが、立派な式台玄関や藩主を迎えた客間、そして尾張の石工の手による見事な高石垣が、家老としての威厳を伝えています。
バスが1日数本しかなく、帰りのバスの都合により、滞在時間30分で小山田邸見学に限定と、慌ただしい旅程となりました。山岡壮八さんは別荘として買い取った小山田邸に滞在しながら、柳生一族の物語である「春の坂道」の構想を練ったそうです。次回来た時には、自分も「柳生の里」をのんびりと散策しながら、柳生新陰流を生んだ時代に想いを馳せてみたい、そんな思いが強くしました。
(2013年11月訪問)
立派な表玄関が「花壇」になっているのは少し残念。せめてブルーシートではなく、建物に調和するような敷物にしてほしいところです。
展示されていた屋敷の図面。
江戸定府の藩主が国元を訪れた際に迎えたといわれる「殿様用客間」。
庭越しに見た殿様用客間。藩政時代に殿様が来る機会はほとんどなかったようですが、 廃藩後に最後の藩主柳生俊益が3回立ち寄ったとのこと。俊益は武田信玄の子孫で旗本(高家)の武田家からの養子です。
まるで城郭のような高石垣。近くに分家のお屋敷も残っていることを旅の後で知り、見逃したことが悔やまれますが、やはり同様に見事な石垣上にあるようです。