【居住者】飯島伴四郎(近習/10石2人扶持)他
【関連サイト】https://www.city.annaka.lg.jp/kanko_spot/daimyou_buke.html
新島襄の故郷でもある安中には、安中藩士の住んだ長屋が残っています。4世帯(東端の1世帯は復元)に、それぞれ10畳程度の部屋が2~3と土間という構成。上座敷には床の間もあり、縁側に挟まれるかたちで台所と厠が交互に付いています(上部写真建物の大小突出した部分)。3万石の小藩である安中藩は、100石以上の知行取はわずかに11人(家老でも200石程度)。藩士の多くは、このような長屋住まいだったらしく、敷地には畑もあって生活を支えていたようです。
幕末期に安中藩が実施した「安政遠足」(遠足は「とおあし」と読む)、いわば藩士のマラソン大会は、「タイムスクープハンター」(NHK)でも取材(?)されていたことを思い出しましたが、『安中市史』(近世資料編)所収史料の出場者名簿には、飯島伴四郎ら3人の長屋住人の名もありました。碓氷峠までの28キロを走破した後は、やはりこの長屋でバタンキューでしょうか。今も毎年5月に「安政遠足 侍マラソン」として、現代の人々がチャレンジしているそうです。
(2013年10月訪問)
写真右手あたりに井戸があります。覗き込むと真っ暗ですが、遠くの水面に自分の顔が写っていました。かなり深そうです。
儒者見習(10人扶持)の弓削田發宅は、他のお宅より1部屋多く、写真手前の下座敷から最奥の上座敷まで3部屋あります。
長屋の通り側。部屋ごとに与力窓が付いています。