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六十余州 武家屋敷紀行

~毎月第3土曜日更新~

vol.10 【筑前国 福岡藩】黒田家中の武家屋敷

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【母里邸の長屋門】福岡市中央区城内(福岡県指定有形文化財

【林邸の名島門】 福岡市中央区城内(福岡市指定有形文化財

【飯田邸の大銀杏】福岡市中央区大名2-10-10(福岡市指定保存樹)

 

 来年の大河ドラマは「軍師 官兵衛」。地元の英雄が初めて主役抜擢ということで、福岡では早くも盛り上がりを見せているようです。近代的な大都市に変貌している城下町福岡ですが、わずかながらも黒田武士の住まいの名残を伝えるものが残されていました。

 母里太兵衛の屋敷門(上部写真)は、福岡城址に移築現存しています。「黒田節」に唄われ、博多人形でもお馴染みの母里太兵衛(毛利但馬)は1万石級の大身ですが、子孫は730石で姓も「毛利」。「母里太兵衛の子孫が住んだ屋敷の門」とするほうが無難な気もしますが、毛利家も大組に列した家柄で、門構えは立派なものです。屋根瓦や門扉の上の貫木にある家紋は、母里太兵衛以来の「釘抜」で変わっていないようです。

 家老も輩出している林家(中老/2,230石)の屋敷門、通称「名島門」も母里邸長屋門のすぐ近くに移築現存しています。先祖は母里太兵衛と同じく黒田二十四騎に数えられる林掃部。福岡城完成後に廃城となった名島城の城門を下賜されたとのことなので、藩政時代の実に260年にわたって代々屋敷門として使われてきたようです。櫓を載せた武家屋敷門は、当時でもインパクトがあったのではないでしょうか。

 JT福岡支店には、飯田家(中老/2,700石)の邸内にあった大銀杏が残っています。この飯田家は、加藤清正の重臣で、司馬遼太郎の小説「覚兵衛物語」にも描かれる飯田覚兵衛直景の子が黒田家に仕官したことによりはじまりますが、その際、熊本城から持ってきた苗木が、現在の大銀杏なのだそうです。

 私の先祖も福岡藩士で、母里家と飯田家とはご縁があったようです。海鼠壁の長屋門はだいぶ傷んできており、立派な銀杏の大木も樹勢の衰えが顕著。官兵衛ブームで、黒田武士の名残の保存維持にも関心が集まると有難いと思います。

(2013年8月訪問)

 

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幕末の当主毛利太兵衛は、明治になって母里姓に復しているので、「母里太兵衛長屋門」でも間違いではなさそうです。

 

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 舞鶴中学校の入口になっている林邸の名島門。幕末の林家は中老ですが、福岡藩の中老は役職ではなく家格。中老の家から家老が選ばれます。

 

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 飯田屋敷の大銀杏。蛇足ながら、我が家は家禄を没収されていた一時期、飯田家の御厄介になっていたそうです。当時もあったであろうこの古木には親しみを感じます。