【居住者】大場弘之介(彦根藩世田谷代官/30俵)
【所在地】東京都世田谷区世田谷1-29-18
【関連サイト】
http://www.city.setagaya.lg.jp/miryoku/1307/1317/1320/d00131362.html
前回に続き今回も代官屋敷ですが、こちらは幕臣ではなく藩士。彦根藩は江戸屋敷の賄料として世田谷20ヶ村、2,300石の領地を幕府から与えられており、その管理を任されたのが大場家です。茅葺屋根の表門や主屋は農村を連想させるような造りですが、それもそのはず、もともと名主の屋敷なのです。
隣接する世田谷区立郷土資料館には、「代官役申付候付、苗字帯刀免之候」とする元文4年(1739)の辞令が展示されていましたが、「当分名主相兼可相勤候」ともあって、代官業務を委託された名主という立場だったようです。文政13年(1830)に当主弥十郎が歩行(かち)格に取り立てられると、以降は代々士分となり、この屋敷も「武家屋敷」として明治を迎えたことになります。奥方が残した日記を郷土資料館が翻刻していますが(『大場美佐の日記』)、井伊直弼暗殺直後の屋敷内の動揺など、激動の幕末期の記述はなかなか興味深いものです。
(2013年3月訪問)
式台を備えた表玄関は、『重要文化財大場家住宅調査報告書』(世田谷区教育委員会)によると昭和42年(1967)の修復工事の際に推定復元したものだそうです。
手前から名主詰所、居間、そして「切腹の間」。やはり大場邸は武家屋敷でした。
お白洲の跡。実際の位置とは少しずれているようですが、玉砂利は当時のもので、そばには白洲の通用門も残されています。