六十余州 武家屋敷紀行

~毎月第3土曜日更新~

vol.03 【越後国 新発田藩】足軽長屋

 

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【居住者】金藤作右衛門(新発田藩祐筆/7石3人扶持)他

【所在地】新潟県新発田市大栄町7丁目9番地32

文化財指定】国指定重要文化財

【関連サイト】http://hoppou-bunka.com/shimizuen/ashigaru.html

 

  天保13年(1842)の棟札が残されるこの建物は、「足軽長屋」として観光スポットになっていますが、藩政時代は「清水谷長屋」と呼ばれていたらしく、住人も祐筆、御座敷番、御料理人など様々だったようです。いずれも5~7石3人扶持の下士クラスの人たちなので、住居としてはかなりつつましい印象を受けます。

 長屋には8世帯の住居があり、公開されている角部屋は、8畳間、4畳間、板の間、炊事場で、今風に言えば「3K」の間取りかもしれませんが、外に開けているのは、玄関と裏口のほかは、小さな窓が表と裏にひとつずつだけなので、部屋の中は薄暗く、風通しも今ひとつな感じがします。窓が小さいのは、向かいの殿様のお屋敷(清水園)に遠慮したとする見方もあるようです。

 昭和47年(1972)の修復時の工事報告書(『重要文化財新発田足軽長屋修理工事報告書』)には、工事の概要はもとより、建物の来歴などについても詳しい説明があって、とても参考になります。修復前の建物の写真も掲載されていますが、明治以降の住人が改造して大きな窓になっていました。まさに殿様の時代が終わったことを象徴しているかのようです。

 (2012年11月訪問)

  

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長屋の表口。明治以降に改造されていた窓は、旧藩時代の小さな窓に原状復帰。

 

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8世帯の各室は、それぞれ若干の違いはあるものの、いずれも「3K」のようです。

 

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裏口。トイレは裏に別棟で建っていたそうです。